UK司法省報告

UK司法省報告

第8章 法廷での安全と経験

「あなたが怖くて続けることができないために、早い段階で合意に達するならは、加害者は、証拠を提出したり、彼の主張を立証したり、尋問されなくて済むんです。彼は家庭裁判所を利用して、あなたとあなたの子どもを脅迫し、さらに虐待します。自分がとても恐れていた人物と裁判手続をしていく恐怖と、言葉で表現できないストレスを言い表わすことはとてもできません。」母親、エビデンスの照会

 

 

 

 

8.1はじめに

この章では、私法上の子の手続の当事者の経験について検討する。エビデンスは、DAの被害者にとって、裁判手続の経験は、身体的な安全への懸念に影響を受けることを示している。さらに、彼らの経験は、DAの結果として経験したトラウマによって根本的に影響を受ける。文献は、このトラウマが身体的、心理的および認知的影響があることを示す。その影響は、虐待者を常に怖がる、虐待者に近接している(またはその発生を見越す)ことに対して制御できない身体的または感情的な反応を伴う、出来事を明確にあるいは順序だって思い出したり説明したりできず、虐待について語ったり質問されたりするとき、フラッシュバックまたは再トラウマ(二次受傷)を経験することを含む。エビデンスの照会への回答は、裁判所プロセスのすべての参加者によって、この文脈が理解され、プロセスがトラウマを意識したものであることが重要だと示唆している。

 

回答から浮かび上がった重要な点は、家庭裁判所の手続は、DA被害者の身体的安全を常に適切に提供してはおらず、しばしば彼らの精神的な健康を無視しているということである。エビデンスの照会に応えた多くの母親は、事件の結果に関係なく、彼女らが法廷で安全であると感じておらず、裁判所の手続自体が再びトラウマを生じさせたと言った。母親の回答の中に、法廷に出席し、証拠を提出するとき被害者が経験した多くの辛い経験、試練についての証言があった:多くの人が「ギョッとするように恐ろしい」などの用語を使用して、それを人生での最悪の経験として説明した。母親の回答はこの点で驚くほど一貫していた。

 

専門家からの回答は、虐待の被害者のリスクを認知し、対処することについて家庭裁判所が、刑事裁判所よりも遅れていることや、被害者が最良の証拠を提出することへの障壁があることを示唆した。専門家は、理論的には被害者を保護するための措置が講じられていたが、実際にはこれらは常に利用可能ではなく、または効果的に使用されるとは限らない、という点に合意した。時に法廷のロジスティック設定やリソースの問題が、法廷で被害者を安全保護するための手段が利用できないことを意味した。

 

また、プロコンタクトカルチャーが被害者のトラウマや脆弱性への適切な対処を妨げているようにも見えた。当事者主義的なアプローチは被害者が最善の証拠を提供することを妨げる要因となった。

 

この章では、法廷での個別の待機エリアや遮蔽などの特別な措置の有無が、どのように被害者の体験に影響を与えるのかを調べる。また、サポーターや法的代理人の存在がもたらす影響や、虐待の加害者による裁判所への反復申立により、ほとんど制限なく虐待を継続することを可能にしてしまう方法についても検討する。裁判の道のりそしていくつかの事件で被害者が経験する可能性のある困難は、以下のように分解できる:

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

文化、サイロ、当事者主義的システム、リソースという分野横断的なテーマは、裁判所の経験に関連する個人および専門家のいずれの回答でも明らかである。この章で特定された懸念は、母親と専門家からの回答で広く提起されたことも注目すべきである。特別措置の利用可能性と使用、直接の反対尋問、反復申立についてコメントした父親も少数いたが、一般的に父親は法廷での安全に関してほとんど何も言及せず、代わりに手続において彼らの権利がどのように尊重されるべきかに集中していた。これは、子どものコンタクト手続において、父親がしばしば彼らの権利の観点から彼らの議論を構築する一方、虐待を受けた母親がめったにそうしないことを示す文献とも一致する(注131)。

 

8.2裁判まで

安全に関する被害者の懸念は、法廷聴取の何日も何週間も前に始まる。

母親の回答には、自分が直面するであろうものへの予測に基づく、法廷に出廷するまでの彼女らの経験が記述されていた。後述するように、多くの母親は度重なる法廷聴取を経験しているため、予期されることを分かっていたが、多くの場合、予期していたものは良いものではなかった。個別の回答は、法廷聴取の前に、多くの母親が経験した、圧倒的な恐怖、不眠、パニック発作、身体的な疾病を含むストレス、不安、恐怖についての詳細な説明が含まれていた。

 

被害者が安全でないと感じる可能性のある要因の1つは、裁判所への往復の間に虐待されることへの恐れである。これは特に公共交通機関の接続が悪い農村部に住む虐待を受けた母親に当てはまった。この複合的な構造的困難は、より広いリソースというテーマに関連している。裁判所の閉鎖はより長い裁判所への移動をもたらし、被害者は、裁判所への道程で、虐待者と同じ電車やバスを使用しなければならないことに恐れを感じたと述べた。農村部のコミュニティでは、最寄りの裁判所は何マイルも離れていて1日1、2本の電車またはバスしかない可能性がある。当事者が近くから移動している場合でも、裁判所の建物の外で対面したり脅迫されるかもしれない可能性は、恐怖と不安を引き起こした。

 

聴取に至るまでの数週間の訴訟手続の恐怖は、特別措置が利用可能なことで一部軽減されたが、多くの被害者は、これらが利用可能であったか知らなかったり、またはそれらを求めることを積極的に妨害された。本人訴訟当事者の一部は、特別措置が何であるかを彼らに説明し、保護を求める手続について彼らに助言する人がおらず、この点で特に不利な立場にあったと感じたと報告した。これもまたリソースのテーマにリンクしているが、DAを矮小化し、主張を懐疑的に考慮する傾向のあるプロコンタクトカルチャー、そして、裁判所職員の訓練にも関連している。回答は特別措置の要求が無視され、または認識されたが、母親が法廷に出廷し、誰もその要求を知らず、何も手配されていなかったというものもあった。

 

「DAの被害者である人々を保護するための法律が施行されていますが、悲しいことに、裁判所は、脆弱な被害者を実務レベルで支援するための設備が整っていません。多くの場合、被害者と虐待者を離しておくために別の部屋を割り当てるのに十分なスペースがない。これは当然のこととして措置されるべきです」弁護士、エビデンスの照会

 

8.3法廷での安全

多くの個々の母親は回答において、彼らが同じ建物にいることを余儀なくされ、同じ時間または近い時間にその建物に出入りしたときに、裁判所で彼女らの虐待者に直面することを心配していたと述べた。すべての裁判所が別々の入口と出口を持っているわけではない;回答は、多くの裁判所がそうでないことを示唆している。裁判所の閉鎖は設備の整っていない裁判所が基本的施設から消えることになりうるが、残っているものは、別々の入口と出口、および個別の待機エリアという理想的なシナリオに対応する必ずしも十分な装備があるわけではない。以下で説明する家事手続規則(Family Procedure Rules)パート3Aに合わせて被害者が別の入口または出口を使用できるように設置する手配が可能な場合もある。ただし、これには裁判所の職員が潜在的なリスクを認識し、個別の入り口が実際に使用されることを確保するため効果的にコミュニケーションを取ることが必要とされる。母親たちは、彼女らが裁判所の建物から彼らの虐待的なパートナーに時間的に近接して離れたとき、彼らは交通機関を、あるいは家までずっとつけられることを懸念していた。場合によっては、これにより住所を秘密に保つことが困難になり、継続的な虐待のさらなる機会を与えた。

 

個人と専門家の両方の回答は、事件が呼ばれるのを待っている間、発生した虐待の事例を説明した。母親と彼女ら家族の個人の回答で、裁判所敷地内で言葉での虐待や攻撃を受けたという多くの報告があった。この虐待の標的となったのは女性だけではなかった;専門家の記録が確認されたように、被害者の弁護士や事件に関与した他の専門家も時に脅迫されたり虐待されたりした。ほとんどの裁判所の建物には、セキュリティスタッフがいるか、配置することができるが、脆弱な人や彼らの代理人に介入し保護することができる人がいない待機エリア内で、対面があった記録があった。

 

裁判所の建物の範囲内での対面や虐待に対する恐怖のいくらかは、適切な個別の待機エリアが利用可能になることで軽減される。事実認定の前には主張はまだ法廷で検証されてはいないが、事件が呼び出される前に、当事者が個別に安全に待機できることが確立されることは、すべての人にとって有益である。いくつかの裁判所では、個別の部屋がない場合や、そのような部屋が利用できても、安心を提供するため十分にプライベートではない場合がある。適切なオプションは、メインの待合室から見えず、直接アクセスできない施錠/キーパッド操作の部屋である。個人からの回答は、オープンエリアやメインの待合室に直接面した遮蔽されていない窓があり、メインの待合室を横切らないとトイレに行けない部屋があったことを述べた。脅迫は見た目や身振りで行いうるので、被害者が法廷で本当に安全だと感じるには、彼らはどんな瞬間でも、虐待者が現れることや近くから彼らを視覚的に脅かすことを恐れずに待つことができるスペースを持っている必要がある。待合室での保護は一部はリソースの問題であるが、コミュニケーションと文化の問題でもある。裁判所の職員は訴訟当事者が事件が呼ばれるのを待つ間、彼らを保護することの重要性に注意し、利用可能な施設を有効に活用する必要がある。個人と専門家の両方が、問題を認識した警備員の存在と、安全な個別の待機エリアの可用性は非常に役に立つというエビデンスを与えた。

 

裁判所の建物で脅迫や虐待の事件が発生した場合は、これらは裁判官によって適切に対処されることが重要だ。エビデンスの照会に対し、母親や専門家に対する虐待が裁判官によってすぐに対処されなかった事件に関する回答が寄せられた。たとえば、ある例では、Cafcassの職員は、父親の意向にそわなければ身体的虐待をするとの脅迫を受け、母親の弁護士は、法廷で父親から身体的に攻撃された。攻撃は裁判所の警備員によって目撃されたが、裁判官はそれを横に置き、「必要なら後で処理する」と言ったと報告されている。一見して、これはより強力な行動が裁判官によって直ちに取られるべきだったシナリオである。もし暴行の刑事犯罪が裁判所の建物で行われたなら、それへの対処は最優先すべきである。委員会に説明された暴行の多くの例では、裁判所は、法廷侮辱罪で加害者を拘束するための公判付託手続(committal proceedings)を開始することができたと思われる。

 

回答はまた、リーガルアドバイザーの不在下で法廷で長期間当事者が一緒に放置されたり、法廷聴取に先立つ交渉で小さな部屋に一緒に入らされた事例についても委員会に伝えた。このタイプの安全でない実務の記録は、個人と専門家の両方から来た。専門家のいるフォーカスグループの1つは、虐待者が刑事上の有罪判決があり接近禁止命令がある場合でも、当事者が法廷外で交渉することを求められるという報告があった。これは、サイロで運営されている家庭裁判所に関する一般的なテーマを示している。委員会の見解では、私法上の子の手続は、被害者に虐待者との安全でない交流を余儀なくさせることで、刑事裁判所の命令や虐待禁止命令を没却するものであってはならない。

 

8.4訴訟手続:虐待を語る経験

母親の個人の回答の多くは、法廷での彼女らの経験がトラウマを引き起こすものだったと説明した。文献レビューや提出された回答は、被害者が法廷での審理を経験することがトラウマになる要因がいくつかあることを示しているが、そのうちのいくつかは、当事者主義的システムに関連している。第4章で述べたように、当事者主義的アプローチでは、当事者は互いに「対立」し、裁判官は、「紛争の舞台」に降りることなく、中立的な意思決定者として行動する。当事者主義的アプローチは、「武器対等」の原則に依拠し、それは、当事者が同等であり、特にリソースが同等であることを前提とし、例えば双方が法的代理人を持ち、「最善の証拠」を提示するために利用できるその他の手段を持っていることなどである。回答で明らかになったように、子の処遇事件の現実では、これらの仮定の多くには欠陥があり、当事者主義的モデル自体うまく機能しておらず安全で公正なプロセスを実現していない。

 

8.4.1被害者の信頼性に対する虐待の影響

エビデンスの照会は、法廷での虐待の追体験は苦痛で、非人間的で、屈辱的であることを示す個人から複数の記録を受け取った。この章の冒頭で述べたように、多くの母親は、彼女らの人生の恐ろしいそして最悪の経験として説明した。多くの人が虐待者の前で集中したり話したりするのは難しいと語った。多くの人が虐待の主張や法廷での苦痛に対する裁判官や治安判事の対応に、侮辱された、非難された、卑下されたという気持ちになったと述べた。性的暴行のカウンセリングに関する情報など、刑事上の設定では証拠規則の下で禁止される機密情報が不適切に開示されている報告があった。これは再度、家事法廷と刑事法廷の異なるアプローチの違いとサイロワーキングというより広範なテーマを浮き彫りにする。

 

多くの母親は、裁判官が彼らの事件をよく知らず、審理前にファイルを読んでいないという印象を報告した。第7章で説明したように、専門家と個人からの回答は、異なる裁判官によって異なる日に事案が処理され、司法の継続性が感じられないという問題を強調した。司法の継続性は、文献レビューの研究が示すように、過去に起こったことをほとんど知らないように見える裁判官に対して毎回新たに経験を語り、追体験しなければならないという問題を軽減するのに役立つものだ。司法の継続性は明らかにリソースの問題である。「1つの家族に1人の裁判官」を提供することが常には可能ではないかもしれないが、費用―利益分析はそのアプローチを支持する。

 

必然的に、虐待の説明をすることは痛みを伴う可能性のある形で被害者に経験のいくつかを追体験することを求めるものだ。母親は回答の中で、子どもたちの安全を確保するためにこれに耐えなければとならないと感じたことを示した。しかし、この再話の実施に求められる方法によってその経験がトラウマになるかならないかが決まる。エビデンスの照会に応じた母親の個人的な説明は、悲惨な読みものであった。一部の母親は、自分たちの説明は彼らの事件では裁判官や治安判事に信じられておらず、威圧的支配とそれがもたらす影響がどれほどかについての理解がないか限られていると感じたという見解を表明した。この照会に応答した専門家の多くは、法廷での司法応答性の不可欠な要素としてDA特に威圧的支配に対する十分な理解が必要だと強調した。

 

あらゆる形態のDAの影響は、この報告の他の箇所で議論され、Stark(2007)他の特に威圧的支配の研究に言及している文献レビューで強調されている。威圧的支配とトラウマが被害者の信頼できる証人としての能力に与える影響については、刑事司法制度との関連で議論されており、被害者が最良の証拠を提供するためのいくつかの障壁を克服するために、様々な異なるアプローチが必要であることが認識されている(注132)。威圧的支配のトラウマ的な経験は、記憶に影響を与える可能性があり、被害者の信頼でき堅実な証人との印象を与える能力を著しく損ないうる。トラウマを負った被害者の記憶は、曖昧、不完全で無秩序なものになる可能性があり、その結果、彼らは定型的な「良い証人」とは対照的な証人になる。また、彼らは虐待の特定の事件、エピソードまたは例を思い出すように圧力をかけられた場合、「空白になる」こともある(注133)。刑事司法の文脈で真実であることは、当事者主義的アプローチが採用されている家事司法の文脈でもあてはまる。

 

個人の母親の回答は、彼女らの応答に期待されるレベルの明確さと信用性を提供する能力についてのトラウマの影響の可能性や、または虐待者の前で虐待について話すことがどれほどトラウマ的であるかについて、ほとんど考慮されることなく、虐待の詳細について掘り下げられたという説明をおこなった。一部の母親は、DAの一部として使用される支配のさまざまなテクニックの有効性について虐待者に話すことを強制されたので、彼女らが裁判手続によってさらに力を失ったと感じたと委員会に語った。この文脈では、彼らが受けた虐待とその影響を詳述することは被害者の無力感と危険認識を高め、一方で曖昧にしたり、虐待やその影響を最小限に抑えるなどの自己防衛的な反射により、信頼できる証人として登場する能力が低下する。

 

被害者が自分の話をすることができると思うと言ったときでさえ、複数の回答者が彼らの主張が信じられないか、矮小化されたように思われたことは悲惨であると報告した。多くの母親の回答は、信じられていないと感じることの影響を明らかにした。ある母親は言った: 「私は起こったことについて乗り越えて先に進む必要があると言われた。この種のコメントは虐待を軽視し、被害者に価値がないとの感情を残す」。別の人は、裁判所が、彼女が「虐待について嘘をついている、または惑わされていた」と考え、そして彼女が説明した精神的虐待に関して「それは関係がないと感じていた」という印象を持ったと述べた。

 

パートナーが重大な身体的危害の罪で起訴された1人の女性は、虐待者を犯罪者にしないという拡大家族(extended family)からの圧力のために、彼女の訴えを撤回したと述べた。彼女は、事件が家庭裁判所にきたとき、裁判官はその事件を「自傷」と改名したことを知った。いくつかの回答で被害者は、彼らの虐待の話が裁判所によって言い抜けられ、彼らが信じられていないと感じさせるだけでなく、ある母親の言葉を借りれば、「無力」と感じさせたと述べた。威圧的支配関係にあった女性の多くは、パートナーが、「ガスライティング」とも呼ばれる、出来事を再定義するプロセスによって、自分たちの現実を崩そうとしたと話した(注134)。被害者にとってこの経験を法廷で再現させられることは特に苦痛だった。ある母親は述べた。「私は真実を語っておらず、静かにしておくべきだ」と感じさせられた。これは特定の例であるが、母親の一貫した供述は、多くの人が「うそつき」と呼ばれたり、虐待を「誇張」しているとされることに非常に動揺したことを示した。

 

母親たちは、証言が検証される必要性を理解していたが、同時に自分たちに不利な状況であることも感じていた;虐待者が彼女らの話を弱体化しようとするあらゆる機会を与えられたが、彼女らは中断や脅迫なしに彼らの話を完全に話す機会を与えられなかったということだ。虐待者が身なりがよく、よく振る舞い、時には良いキャリアやそして他のそのような信頼の証を持っているように見えたので、裁判所と専門家の目には信頼性がある様に映ると感じたと母親らはしばしば言った。ある母親は彼女の回答で「彼は立派に見えたが、裁判官が適切な質問をしていれば、裁判官はその「見た目」の裏を見抜くことができただろう」と語った。別の母親は、彼女の事件の裁判官は高い専門的地位を持っていた虐待者によって簡単に「取り込まれた」または「操作された」という彼女の確信を述べた。DAはあらゆる種類の関係で発生する可能性があり、すべての社会集団、職業を横断することを示す研究とは対照的に、母親の何人かは、彼女らの専門的なパートナーの証言は、彼らが見せることのできる洗練された落ち着いた態度によって信じられたと感じた。自身が法律専門家であるパートナーに虐待された母親は、特に脆弱で不利だと感じた。虐待的な法律家のパートナーがいた一人の女性は言った:「彼はそれが自己防衛であると主張するために彼の法的知識と資源を使用した」。

 

一般的に、虐待者が外の世界に魅力的で立派な顔を提示することで、被害者による虐待の訴えがまったく信じられないように見えるのは、威圧的支配のよく見られる要素である。母親の多くは、彼女らの虐待の経験によってトラウマと資源の減少の両方の観点から虐待の継続的な影響に苦しみ、それによって彼女らが裁判所の目から見て信頼性を低下させる不利な立場に置かれていると感じた。ある母親は「私は心的外傷後ストレス障害を患っていた」と述べ、裁判官が証拠を評価する際に「原因となった加害者を見ることなく」彼女の精神的健康を強調しすぎていたと感じたと述べた。

 

さらに、複合的な構造的困難のテーマは、BAMEの母親の回答とBAMEの母親を支援する専門家グループの回答において強く出てきた。これらの回答の多くは、法廷での否定的な経験が人種差別によってさらに悪化したと感じているBAME女性の様子を伝えている。パートナーが法律家の一人の女性は、彼は彼の専門的地位を彼に有利に使用しただけでなく、彼が白人の専門家であったという事実から恩恵を受け、一方で彼女はBAMEの背景があり、彼の経済的虐待のために彼女はフードバンクに依存していたと言った。彼女は、虐待者の言い分を信じ、彼女を「厄介者」として扱った裁判所の無慈悲な対応に、人種差別や階級差別が含まれていると感じたことを述べた。BAMEの背景を持つ女性で開催されたフォーカスグループでは、このような説明が何度も繰り返された。ある女性は、反対尋問の際に、純粋に自分の民族的背景に基づいて、「ブードゥー教を信じているか」、「魔女であるか」、「血の犠牲を行っているか」などと聞かれたことを話した。事件の争点とは無関係のこれらの質問が、司法の介入なしに行われたことは、この事例がそうだったように、疑問の余地なく人種差別の印象を与える。

 

したがって、回答は、下記に要約されているように、信頼性に対するいくつかの障壁を示唆する:

 

 

 

 

8.4.2特別措置

「法的に代理されていない被害者は、「特別措置」の請求を知らないかもしれないが、本来は、彼らがそれをする必要はないはずだ。これらの人々を保護するためのシステムが自動的に実施されるべきだ。裁判所から特別措置が求められたが、法廷に到着したとき実際に設置されていない事件があった。たとえば、予備の部屋がなく裁判所職員は遮蔽を設置するのを忘れたことがあった。ある裁判所では、遮蔽が壊れていたので、彼らは「間に合わせ」の遮蔽として証人ブロックの前に机/テーブルを置かなければならなかった。それは恥ずかしいことであり、十分ではなかった。脆弱な被害者が法廷制度を経験する際の保護については、実際的なレベルでより多くのことを行う必要がある―被害者にとって裁判での経験がより困難なものにならないように、より多くのリソースを用意し、自動的なプロセスを導入する必要がある。」弁護士

 

対面での対決は、当事者主義的な法的手続の典型的な方法だが、それが必ずしも真実を確立するための最良の方法ではないことが長い間認識されてきた。刑事司法制度において、脆弱な目撃者が最良の証言をすることを可能にする遮蔽やビデオリンクでの証拠提供のような特別措置の規定は1999年青年司法および刑事証拠法(Youth Justice and Criminal Evidence Act 1999) によって20年以上前に導入された。これらの措置の範囲と家事手続への適用性は、文献レビューで検討されている(注135)。文献によると、遮蔽のような措置は家庭裁判所で技術的に利用可能であるにもかかわらず、それらはしばしば配備されない。たとえば、ウィメンズエイド英国連盟が実施した調査では、家庭裁判所を経験した女性の回答者の半数以上は、特別措置へのアクセスがなかったと回答している(注136)。

 

第3章で強調されているように、2010年家事手続規則は2017年に遮蔽とビデオリンクの潜在的な利点を示す調査を考慮に入れるため改訂された(注137)。手続規則のこれらの改訂が望ましい効果をもたらしたかどうかは、このエビデンスの照会で、具体的な内容を検討することになっている事象の一つである。我々が個人から受け取った回答は、家事手続規則の改訂の前後に発生した事件に関連したものだが、第2章で述べたように、異なる期間にも関わらず応答が高度に一致していた。ここから、特別措置が十分に活用されていないという問題は、「関与指示」(participation directions)によって特別措置の利用を奨励するように設計された変更の後にも当てはまることが分かる(第3章を参照)。関与指示は、遮蔽やビデオリンクだけでなく、建物への別々の出入り、個別の待機エリア(上記で説明)、反対尋問の実施についての指示(以下で説明)もカバーしている。専門家の回答の中には、2017年以降、一部の虐待被害者のための別の待合室や遮蔽を使用することが増えたことや、直接の反対尋問を避けるための司法介入の増加を報告するものがあった。ただし、これらの回答は、一貫性の欠如、地域慣行の多様性、リソースの制限、およびDAの最小化が遮蔽やビデオリンクなどの特別措置の利用可能性と使用に影響を与えることを強調した。専門家は、ほとんどの被害者は遮蔽のような特別措置が加害者の前で証拠を提供する恐怖と脅迫を減らすのに役立ち、その結果、彼らが提供できる証拠の質にプラスの効果をもたらことを認識すると述べた。一部の回答は、特定の措置が他の措置よりも効果的であると示唆した。たとえば、Refugeは、被害者が虐待者と同じ部屋にいる必要はないため、遮蔽よりもビデオリンクの方が役立つと感じた。さらに何人かの専門家は、遮蔽は時々間に合わせになる可能性があるため、特に効果的ではないとコメントした。

 

しかし、回答から、すべての裁判所が、最も基本的な形式であっても、利用可能または容易に配備可能な設備を持っているわけではないことが明らかとなった。ある裁判官は委員会に、遮蔽の要求がなされた場合、彼の法廷のレイアウトと限られたスペースのために、遮蔽を利用するためには被害者を彼の隣のベンチに座らせなければならないと述べた。多くの事件は、非常に小さな部屋の空間で、当事者が近距離で座らなければならない状況で聴取され、そのような状況では、遮蔽を使っても被害者がより安全を感じるのにあまり効果がないかもしれない。専門家の回答は繰り返し、地区裁判官の部屋は小さすぎて、特別措置を効果的に配備することができないと述べる。これはリソースの問題で、認識された保護の必要性に対し限られたリソースしかないことをエビデンスの照会への回答は示す。たとえば、Rights of Womenからの回答によれば、裁判所は限られた特別措置の利用可能性を事実認定聴取のために優先する傾向があると述べた、しかし彼らの回答は、被害者の視点では、ほとんどの聴取は非常に似ていると感じており、加害者が腕を伸ばして座っているときに被害者が自分で話すことはまだ非常に困難だと指摘する。

 

また、専門家の回答から、設備が技術的に利用可能であっても、遮蔽やビデオリンクなどの特別措置を与えることに抵抗が続いていることも明らかだった。受け取った回答から特に治安判事がこの見方をする可能性を示した。この抵抗は、特別措置はどういうわけか「優遇措置」であり、虐待の加害者と主張される者に対する偏見または先入観の認識を与える可能性があるという認識としばしばリンクしていた。これはこれまでの研究で明らかになっているテーマであり(注138)、DAの主張を受けたことのある父親からの供述でも繰り返されている。彼らは、特別措置の利用は自分たちへの偏見を示すものだと感じていると述べている。父親がこの認識を持っている可能性は驚くべきことではないが、専門家の回答者から、「これは不当に事件にバイアスをかけるだろうという信念」のため裁判所はしばしば保護措置の使用を思いとどまらせると聞くことは、より驚くべきことだ(ウィメンズエイド英国連盟)。明らかに、中立的な意思決定者としての裁判官は遮蔽やビデオリンクを不利なものとして見るべきではなく、裁判官は特別措置が問題を予断するというあらゆる誤解を正す能力を持っている。

 

受け取った個人の回答と同様、複数の実務家円卓会議で、被害者が特別措置を要求し、「迷惑」のように感じさせられるとの言及があった。一部の専門家は、他方に対する彼らの敵意、そして協力して共同養育することを望まないことのしるしとしてとられたので、被害者が特別措置を要求したことで「罰せられ」うるとの視点さえ表明した。回答によると、法的アドバイスは、特別措置が虐待者に対する偏見であり、母親の敵意を示すものであるという否定的な固定観念を助長することがあることが示された。個人の回答も呼応し、フォーカスグループの女性は彼女ら自身の弁護士から、虐待者に対し敵対的であると見なされるため、特別措置を要求しないようアドバイスされたと言った。DAの被害者が、特別措置の要求を、敵意、片親引離し、訴訟において戦術的な優位性を獲得する試みの証拠と見られるという認識に基づいて思いとどまされるべきでない。

 

母親が表明したもう一つの懸念は、特別措置を求めることによって、母親が「弱い」または「脆弱」として認識され、それによって彼女らの子育て能力について否定的な推定のリスクがあることである。たとえば、Mosacからの回答は子どもが性的虐待を受けたと主張する母親は、彼女らのメンタルヘルスと育児能力について、否定的な推定がなされることを望まなかったので、特別措置を要求することを延期されたと述べた。

 

回答はまた、特別措置を使用しない他のさまざまな理由についても言及した。これらには、法的代理人を持たない当事者は、特別措置の利用可能性を知らず、要求する立場にないことや、裁判所は本人訴訟当事者が脆弱な証人であるかどうかを積極的に検討していないことなどがあげられる。より一般的には、専門家は、裁判所は、DAを主張する被害者も、子どもの性的虐待を主張する保護親も家事手続規則の範囲内で脆弱な証人として受け入れられなかった一方で、学習障害を持っているか、英語を話さなかった場合のみ当事者の脆弱性を認める傾向があると述べた。さらに、一部の専門家は、裁判所が被害者がどのようにあるべきかというステレオタイプに基づいて、脆弱性の不正確な評価を行ったことを観察した。これは、虐待の男性の被害者の脆弱性が認識されておらず、男性の被害者は決して法廷で安全措置を提供されず、男性の被害者による特別措置の要求はなかったことに懸念を表明している少数の父親からの回答によって補強された。

 

全体として、遮蔽とビデオのリンクは、効果的に使用されておらず、家事手続規則の変更はその目的であるより良い保護を提供し、被害者に彼らの「最良の証拠」を与える機会を提供することを達成していないと結論付けることができる。専門家の回答は、特別措置が義務的または日常的ではなく、依然として多くの人に望ましいまたは野心的なものとみられていると委員会に語った。治安判事協会は、143人の治安判事を対象に行った調査で、68%がFPRパート3AとPD3AAに従うことに非常に自信がある、またはかなり自信があると答えたものの、常にまたは定期的に従っていると答えたのは半数以下の48%であったことを回答で指摘している。したがって、提出されたエビデンスの重みは、私法上の子の手続の被害者が特別措置を利用可能とすることを確かなものにするため、より多くのことができることを示唆している。これには、一部の残存する態度の障壁に対処するためのリソースとトレーニングが必要になる。

 

8.4.3適切な支援者の不在

母親と父親の両方の回答のいくつかは、マッケンジーフレンズ(McKenzie Friends)としてサポートワーカーを法廷に入れる要求を拒否された経験を語った。文献レビューから、そのようなマッケンジーフレンズが当事者に重要な感情的および道徳的なサポートを提供できることが知られている。しかし、委員会はDAの支援者がサバイバーを支援するため法廷に入ることができるかどうかについて実務上の一貫性がないことや、裁判官が敵意を持っていたり、父親が反対したりしたために、被虐待者の母親が支援者の立ち合いを拒否された事例があることを指摘された。ウェルシュ・ウーマンズエイドは、裁判官がバイアスの認識を生むだろうと感じたので、サポートワーカーはしばしば女性について法廷に入ることが許されなかったと委員会に語った。また、実務家円卓会議では、DAの専門家である支援者に対して、裁判官が「善意の人」と軽蔑的な表現で敵意を示していることが報告された。被害者を支援する一部の専門家からの回答は、少なくとも一部の治安判事の間では、加害被疑者は、サポーターを伴う虐待の被害者とされる者に法廷で異議を唱える絶対的な権利を有するという信念があったという認識だったと述べた。実際、これは裁判所が決定する問題であり、裁判所はまた、偏見の認識を払拭することができる。サポーター、特にIDVAに対する異議を安易に受け入れる代わりに、裁判官はサポーターの機能が何であるか、サポーターの存在に伴う先入観がないことを説明することができる。

 

報告された法廷でのサポーターへの異議は、いくつかの点で報告された特別措置に対する異議に非常に類似しているように見える; それらは他方は不当に有利だという欠陥のある認識に基づいている。しかし、サポーターは単に、被害者が訴訟に効果的に参加できるようにするためいるだけである。スペシャリストサポートは法廷の内外の安全を計画している虐待の被害者にとって不可欠である。被害者の経験を理解し、彼らが必要とする助け、例えば特別措置を求めるように指示する知識と経験を持っている人の存在は、法廷で安全を感じ、彼らの最高の証拠を与える能力に大きな違いをもたらす可能性がある。刑事司法の文脈では、IDVAの利用可能性は専門家のDA法廷の明白に成功した要素の1つだった。このように、家庭裁判所は刑事裁判の経験から学ぶことができる(注139)。

 

上記のように、それはまた、DAの被害者であった父親から受け取った彼らが適切なサポーターなしに法廷に出廷することは難しいという回答からも明らかだった。男性の被害者と一緒に開催されたフォーカスグループの1つで、父親は自身のメンタルヘルスの経験と、メンタルヘルス支援者が彼と一緒に裁判に出席することをいとわなかったが、法廷では歓迎されなかったことを説明した。DAの男性被害者のニーズを満たすように特別に設計されたサービスがある。委員会にはそのようなサービスはリソース不足であるとの声が寄せられた。しかし、それらが存在する場合、これらのサービスのアドバイザーとサポーターが、ウィメンズエイド英国連盟、ウェールズウィメンズエイドそして彼らが受け取ったと委員会に語った女性の被害者を支援する他の組織からのサポーターとして、立ち会うことへ敵対的なアプローチにあわないことが重要である。

 

BAME女性およびBAMEの母親をサポートする専門家の回答から強く浮かび上がった1つのテーマは彼女らの多様なニーズに敏感なサポーターの必要性だった。家事裁判を進めていくBAME女性の特定の困難を見落としてはならない。文献レビューはこれらの問題のいくつかを強調した(注140)。BAME被害者が経験した困難のすべてを、適切なサポーターの存在によって軽減することはできないが、サウソールブラックシスターズなどBAME女性を支援するグループが指摘するように、適切なサポートがプロセス自体に起因する害を軽減する方法を見つけるジグソーパズルの一片となりうることを示唆する。

 

8.4.4反対尋問

上で強調したように、反対尋問はしばしば苦痛、屈辱、そして再びDAの被害者にとりトラウマ体験となる。虐待者が自分で反対尋問を行うことを許可されている場合、その困難は複雑になる。このエビデンスの照会に先立って、多くの場合での、直接の反対尋問の問題が指摘されている。文献レビューは、DAの被害者が、加害被疑者から反対尋問されることは恐ろしく、トラウマ的で、二次受傷することを示す研究結果に言及している(注141)。例えば Coy et al事件(2012、2015)において、直接の反対尋問により、虐待の加害者は裁判所の手続を使用して被害者を虐待し続け、彼女のライフスタイルや活動について不適切で煩わしい質問をすることが可能になると述べている。

 

委員会への個人の回答では、このように質問されたために、プロセス全体が屈辱的で、品位を落とし、恐ろしかったと述べる虐待を受けた母親もいた。怯えて屈辱を与えられた経験、そしてフリーズしたり、はっきりと考えられなかったり、意味がある回答ができなかったりするトラウマ的な反応は、首尾一貫した証拠を提供し、したがって「良い」証人としてみられる能力を減ずる。虐待者からの反対尋問を受けることを考えると、自分が受けた虐待について法廷で話そうとしない母親もいた。また母親と専門家の両方が、最終審理での直接の反対尋問の脅威が、母親を脅してコンセント命令に同意させるために使われたと述べた事件もあった。2017年以来、直接の反対尋問を防ぐための裁判官によるより大きな介入についての専門家の報告があったが、多くの個人の回答には、虐待者による直接尋問を許可する裁判所および明らかに虐待的な質問を防ぐことに失敗した裁判官のより最近の証言があった。

 

虐待者による直接の反対尋問は、一部は私法上の家族法手続への法律扶助の制限のために起こった。彼らの回答の中で、父親は委員会に彼らが法的代理人を常に雇う余裕がなく、事件を自身で扱うことを余儀なくされたと感じたと述べた。複数の母親はまた、公的資金の制限がLASPOによってもたらされた結果、彼女らは反対尋問でより効果的に彼女らを保護しうる法的代理人を欠いたと強調した。当事者主義的なシステムは、武器の対等の仮定に依拠する。私法上の子の手続の現実は、多くの当事者が、不平等に武装しているか(一方当事者は法的代理され、他方はない)または不平等に武装していない(どちらも法的代理人がいないため、関係性での権力、脅迫、支配は緩和されない)。母親と父親の両方が委員会に、法的代理人なしで自分で反対尋問を行うか、尋問されなければならないが、相手には法的代理がいるときに、不公平だと感じたと語った。母親と父親の両方からの回答は、虐待の被害者にとっては、自分が虐待者に質問しなくてはならないことは、自分が虐待者に質問されるのと同じくらいの恐怖と苦痛があり、その結果、子どもをさらなる虐待から守るために適切に擁護することができないと感じることがあることを強調した。

 

直接の反対尋問の問題を解決するための提言は、文献レビューでも明らかにされてきた(注142)。以前にされた提案の1つで、特にPD12Jに含まれているのは、裁判官が質問を引き継ぐというものだ。しかし、Corbett and Summerfield(2017)の調査では、一部の裁判官はこれを行うことに消極的で、実務では裁判官が本人訴訟の当事者からの相手への質問に依存していることを意味する。このエビデンスの照会への回答によれば、このアプローチが必ずしも虐待の被害者を反対尋問の有害な影響から保護するわけではないことを示す。母親は、裁判官が質問を読んだときでさえ、それはまだ虐待者の言葉だったといった。さらに、裁判官へ書面による質問の提供を求められた場合、何人かの母親は彼女らが何を尋ねるべきかまたは尋ねることができるのか知るのが難しいと言った。法律的助言がない場合、反対尋問のため質問を作成することは、気が遠くなるような見通しである。全ての法的トレーニングのない人にとって気が遠くなるようなものではあるが、CLOCKが彼らの回答で指摘したように、これらの問題は識字能力に問題のある人にとってはいっそうひどくなる。一部の母親の回答は、本人訴訟として彼らが無力で、虐待者により提唱された説明は真実ではないと裁判所に納得させることができるとは思わないと感じたと述べた。

 

委員会への専門家の回答は、多くの裁判官がDA事件で多数の本人訴訟が彼らに課す責任が不快であることを示した。当事者主義的アプローチでは、裁判官は立証責任の概念に慣れており、紛争の場に降りないという考えを持っている。司法円卓会議に参加した裁判官は、彼らが直面しているジレンマを指摘した。たとえば、反対尋問とDA事件における本人訴訟の扱いについて尋ねられたとき、ある裁判官は以下のように認めた:

「私は司法の帽子をかぶって考え続けています、私たちが証拠を正しく与えるプロセスを取得することは絶対に正しい.....しかし、質問がない場合、または質問が少なすぎると、裁判官は決定を下すことができると思わないかもしれないリスクがある。私たちは主張を証明する必要があることを忘れることはできない....確率のバランスにおいて....そして誰かが主張をし、それが自動的に信じられるシステムを持つのは正しくないでしょう...それを評価するシステムである必要があります...もしあなたが何も尋ねなければ、または質問が非常に特徴がないなら、あなたは真実に到達できるとは感じない。裁判官は、私たちが必要とする認定することができません.....だからこれは事実を確認する必要性を忘れないようにとの警告です.....」裁判官

 

証言が検証される必要があることは明らかに正しいが、エビデンスの照会の回答は、私法上の子の手続において現在使用されている当事者主義的なプロセス内でどのようにそれが行われているかが依然問題であることを示唆している。回答を通して直接の反対尋問の禁止については、すべての方面から多大な支援があった。専門家の回答は、反対尋問が虐待の被害者をいじめ、威圧的支配を永続させるために使用され、虐待的な質問を回避し被害者を効果的に保護するために介入しない裁判官の多くの事例があるという母親の回答を裏付けた。一方で、父親の回答のいくつかは彼らは母親を直接反対尋問する「権利」を保持すべきだと主張していた。それらの裁判官によって彼らに代わって質問が出された経験がある父親には、不満を感じ、公正な聴取が拒否されたと感じる人もいた。したがって、例えば、ある父親は裁判官があまりにも丁寧に質問をし、質問の意義と文脈は司法的フィルターを通して失われたと感じたと委員会に話した。

 

直接の反対尋問によるいじめと威圧の問題に対する可能な解決策の1つは、両当事者が法的代理人を持つことを確実にすることだ。しかし、母親の回答は、父親の法的代理人にいじめられたとの記述があったことに注目すべきである。弁護士による反対尋問を受けることが、自動的にプロセスをあまりトラウマ的にしないことにはならない。母親の回答には、父親の弁護士から屈辱的で侮辱的な質問を受け、反対尋問中に虐待者を見ることを余儀なくされたという多くの説明があった。一部の父親の回答も、母親の法廷弁護士による反対尋問は恐ろしいものであり、虐待的な経験だったと話した。上で強調したように、刑事手続で求められうる質問の種類に関する制限は家族法の手続には存在しない。したがって、主張がレイプである刑事手続には、被害者の性的履歴について尋ねうる質問を防止または制限する証拠条項があるが、そのような制限は家庭裁判所に存在しない。母親と専門家の両方が委員会に、カウンセリングに関する機密情報と同様に彼女らの性的履歴やその他の行動について屈辱的で無関係な質問をされたという例が語られた(注143)。

 

エビデンスの照会は、個人や多様な専門家から、両方の当事者に代理人がいる場合であっても、当事者主義的なアプローチは、両方の当事者のさらなる危害を永続させない方法で、公正に彼らの事件を提示する能力を損なう可能性があるという結論を支持する、かなりの数の回答を生み出した。いくつかの専門家からの回答は、問題の解決策は、当事者主義的なアプローチを完全に放棄し、より調査的(investigative)糾問的(inquisitorial)なアプローチを採用することであろうと示唆した。これは、第11章で行われる推奨事項でさらに検討されるものである。

 

8.4.5法的代理人の不在

この章では、法的代理人の欠如がどのように法廷での当事者の経験に影響を与えるさまざまな問題と交差するかを見る。たとえば、法的代理人は、特別措置が確実に適用、使用されることを確実にするうえで重要な役割を果たすことができ、反対尋問も一方または双方の代理の有無の問題によって影響を受ける。

 

この章で引用されている回答のいくつかが示すように、法的代理人はDAの文脈で常にクライアントに支援的または保護的なわけではない。母親と父親の両方からの回答は、個々の弁護士に対する不満を示した。ウェールズの実務家と被害者のフォーカスグループの参加者も、すべての弁護士が虐待者を知っている小さな町、農村地域に住む虐待の被害者が経験する可能性のある、質の高いアドバイスを提供し、彼らの利益のために行動する法的代理人を見つける際の特定の困難を強調した。これはイングランドの農村地域に住むDAの被害者にも影響を与える問題になりうる。

 

ただし、全体として、我々の受け取った本人訴訟の複合的脆弱性に関する広範なエビデンスは、法的代理人がいないことは、次の図に示すように、虐待を受けた母親の裁判の経験を再びトラウマにする軌道上の影響の1つとみなすことができるということを示す。

 

 

 

 

 

 

 

 

8.5主張を繰り返し、裁判所の手続を虐待として使用する

家庭裁判所は、元夫からのコンタクト聴取のさらなる要請を繰り返し受け入れ、虐待の歴史と彼が求めたいかなるコンタクト命令も遵守しないという事実を無視した。私の元夫は、以前に彼が求めた時間を遵守しないにもかかわらず、コンタクト時間のわずかな変動を主張し、絶えず私を法廷に連れ戻した。」母親

継続する虐待の手段として使用されている子の処遇命令についての反復申立の問題は、報告された判例法および他の文脈で司法当局によって懸念として提起されている(注144)。第3章では、裁判所の許可を得ることなく更なる子の処遇命令をすることができないという命令を裁判所ができる1989年児童法のセクション91(14)について説明した。当事者が許可なしに反復申立を「禁止」されている場合、これはDAの被害者にいくらかの休息を提供しうる。裁判所が繰り返される不当な申立を防ぐために使用できる他の規定があるが、文献レビューが強調しているように、セクション91(14)が重要な子の処遇事件の規定である。しかし、判例法は、虐待の加害者は、さらなる申立を行うことを「禁止」されている時でさえ、申立許可の申立の手続も、虐待のツールとして使用できることを示している。したがって、たとえば、Re P and N事件(2019)で裁判官コブ氏は、申立許可の不当な申立は、彼女がそれに気づいた場合、それ自体が同居親にストレスを与える可能性があると述べた。もし、セクション91(14)の命令が出されている場合の申立許可の申立にすべて相手方からの回答が必要であれば、虐待者には、まさにセクション91(14)がそれを防止するために設計されているにもかかわらず、虐待を継続するための法的に認可された手段が提供されることになる。

 

8.5.1虐待的な反復申立を制限するためのセクション91(14)命令の不使用

このエビデンスの照会が調査するために設定された目的の1つは、セクション91(14)の使用と、それらが非虐待親の資源や養育能力、DAを経験し、あるいは経験し続けている子どもたちの福祉を損なうような、虐待を継続するための道具として、反復申立が使われるのを防ぐのに有効かを検証することであった。反復申立の問題に関する個人からおよび専門家からの回答を受け取った。裁判所が反復申立を防ぐことが可能であったことを認識していた人はほとんどいなかったので、特に母親からのセクション91(14)の質問への回答は少なかった。しかしながら、多くの母親の回答が、多くの場面にわたり裁判所に引き戻されることを述べ、多くの感情的、経済的コストをかけ、何年にもわたる訴訟を記録するものもあったと伝えた。たとえば、母親の親戚の1人は、反復コンタクト申立の対応で、再住宅ローンを組まなければならず、債務水準は数万ポンドに上昇したことを語った。

 

母親は、エビデンスの照会で、虐待者が、裁判所の申立を、彼らへの虐待を継続し、支配し、ストーキングし、嫌がらせをし、経済的に虐待する道具として使うことを話した。被害者が繰り返し法廷に戻され、感情的および経済的に疲れ果て、衰弱していることを認めた。ある母親は、虐待者を「ジャングルの捕食者」と言及し、ストーカーされた獲物のように感じたことを説明した。彼女は繰り返し法廷へ連れ戻されることのトラウマ的な影響と家庭裁判所はそれを防ぐために何もしないという認識を明らかにして次のようにコメントしています。「生き残ったとしてもそれは運によるもので、仕組みによるものではない」と。裁判所はプロコンタクトカルチャーのなかで、子どもたちともっとコンタクトしようとする「良いお父さん」として父親を見る。しかし、母親はしばしば父親が子どもに実際の関心を持っていないこと、彼女らを虐待し続けるために裁判を利用し、そしてコンタクトを授与されるとそれをしそこねることを認識した。母親はまた、1989年児童法下で反復申立をすることは、長期にわたるファイナンシャル手続やファイナンシャル命令遵守の拒否などの法律手続による他の形態の嫌がらせと組み合わされることが多かったと委員会に語った。また、子どもの社会的養護のために、子どものネグレクトや虐待について虚偽の申立を社会福祉サービスに報告された経験を強調した。この複数のシステムで繰り返される行動と嫌がらせの全体像は、子の処遇事件を「サイロ」の観点から見ることがどのように見当違いかを示している。全体像を把握することで、裁判所が進行中の危害とセクション91(14)命令の必要性についてより多くの情報に基づいた正確な判断を下せるようにするだろう。

 

DAの被害者はコンタクト命令が安全ではなく、子どもたちと自分自身に継続的な危害が及ぶと考える場合や、自分が非同居親であり、虐待的同居親がコンタクトを拒否したら、子の処遇命令発出や変更の申立を繰り返し行う状況がある。実際、委員会にエビデンスを出した母親の何人かは、彼女らに対するセクション91(14)命令の申立の対象となっていた。彼女らの説明はセクション91(14)の焦点が、それらの根底にある動機や懸念ではなく、単なる反復申立の事実になっていることを示唆した。

 

回答の中で、父親は、母親によるコンタクト命令の度重なる違反に対応するため、あるいは過度に制限されていると彼らが考えるコンタクトの取り決めを変更したいために、裁判所への反復申立をしたと述べた。彼らの見解では、母親が裁判所が以前に命令したコンタクトを許容しないので、彼らは多額の費用をかけて反復申立するしかなかった。彼らはまた、裁判所がコンタクトを強制する適切な措置を講じないため、彼らは申立をしなければならなかったと委員会に語った。一部の父親には、母親はコンタクト命令違反を許容され、不処罰の状態であると考える人もいる。

 

回答した母親とは異なり、回答した父親のかなりの数がセクション91(4)の手続の経験があった。セクション91(14)に基づく「禁止」命令の申立を受けたことのある父親たちは、母親の弁護士による戦術的な駆け引きと考えられるこれらの申立に抵抗するのは非常に簡単だったと述べている。当然のことながら、裁判所の許可なしにそれ以上の申立を禁じられていた場合、彼らは裁判所が間違った決定に達したと感じ、彼らは、コンタクトを取得して実施するために無制限の反復申立を行うことを許可されるべきと感じた。

 

母親と父親の両方のコメントは、セクション91(14)に基づく申立および命令はまれであるという専門家からの回答に強く共鳴する。治安判事協会による143人の治安判事の調査では、90%以上がそのような命令の申立はめったに行われないか、まったく行われていないと述べた。これは上述したように、母親がその可能性を知らないため、法的アドバイスを受けていないため、あるいは弁護士が命令を得ることの難しさ認識しているためであろう。Nagalroは、反復申立は、家族のニーズとダイナミクスについて十分な知識や理解がないまま最終的な命令が下され、当事者のニーズや根本的な問題に対処するには不十分な命令となってしまうことの産物であると述べている(第9章も参照)。他の複数の専門家は、命令があるべき姿で機能していることを確認するのに十分な期間、裁判所が訴訟を保持することができれば、繰り返しの主張は避けられたと考えた(第6章と第9章も参照)。裁判所には、検証された実用的な解決策が確立されるまで問題をコントロールするよりも、できるだけ早く事件を終結させることが求められているという意見があった。しかしながら、一部の専門家は、反復申立する動機は必ずしも子ども中心ではないと感じていた;母親と一緒に暮らしている間、子どもたちにほとんどまたはまったく興味を示さず、将来、子どもと真の思いやりのある関係を築くという本当の意図はなく、 虐待者は、長く繰り返される手続を通じてコンタクトを追求することがある。

 

8.5.2セクション91(14)命令を取得することの難しさ

専門家の回答の多くは、セクション91(14)に基づく申立の難しさを指摘した。法的代理人のいない当事者が申立を成功させるための知識または能力はないと思われる。裁判官は自ら命令を出すことができるが、委員会にエビデンスを与える誰もこれがなされている認識がなかった。もっと典型的には、陳述書付きの正式な申立が必要であり、聴取まで時間がかかり手続は長く、面倒で費用のかかるものである。

 

司法円卓会議では、近接して2件以上の申立があり、訴訟当事者は自己代理で、何も変化がない場合には、命令が出される可能性が示唆されたが、現実には「禁止」命令発出には高いしきい値があるようだ。他の専門家からの回答は、命令を検討するには5つ以上の申立が必要なことを示唆した。Mosacは、有罪判決があり、虐待的な親が子の処遇命令や変更の複数の申立を行っていても、彼らが支援した子どもの性的虐待事件で、セクション91(14)の命令が出されたことがなかったと回答した。同様に、Refugeは命令が出されたのはほんの一握りで、それらはすべて重度の長期にわたる身体的および性的虐待を特徴とする事件だけだと言った。

 

専門家は、裁判所はセクション91(14)命令をすることに消極的である控訴院からのガイダンスに正しく従っていると述べた(注145)。家族生活の権利と公正な裁判を受ける権利の侵害についての懸念のため、親が裁判所にアクセスすることを防ぐことを正当化するには高いハードルがあるべきとされ、命令は強力な証拠によって裏付けられ、極端な状況でのみなされるべきだ。しかしながらいくつかの回答は、必要とされる説得力の程度は審判次第であると考えるものもあり、また実際には「禁止命令」ではなく、単に許可が得られることを求める命令であるという事実から、命令を出すためのしきい値がなぜそんなに高いのか他の人が疑問を呈した。したがって、いくつかの回答では、虐待の一形態として使用されている反復申立を防ぐために、セクション91(14)の命令を出す意欲を高める方向に文化をシフトすべきと示唆した。

 

また、命令が出された場合でも、単に期間が限定されている。6か月続く命令は、非虐待親と子どもに虐待の一形態として使用されている手続からの休息を与えるのに十分な長さではない。サウソールブラックシスターズは、18か月の繰り返しのコンタクト申立に直面した利用者の例をあげた。彼女のセクション91(14)命令の申立は、決定まで6か月かかり、わずか12か月が認められ、その後、彼女はさらなる申立の的になると予想し、別の命令を再申立する必要があった。

 

8.5.3申立許可の取得のしやすさ

セクション91(14)の命令を取得するための高いしきい値とは対照的に、申立許可のしきい値は一度命令が出ると低い。許可の申立は、子どもの福祉の問題が関係している場合、または命令後の事情の変化があれば一般的に認められ、何人かの加害者は、許可の申立を正当化するために小さな変更を容易に設計することができると専門家は指摘した。本人訴訟サポートサービスはまた、子どもの福祉が改善したという理由で申立許可が認められることがあるが、その改善がセクション91(14)命令の事実によるものであり、その結果として、虐待親からの嫌がらせからの救済が得られたことに起因していることを認識していないと指摘している。弁護士は、申立許可申立に惑わされないためには強力な裁判官が必要であると回答した。

 

回答はまた、申立許可申立が扱われる方法特に相手に申立の通知されるかどうかに関してかなりのばらつきがあることを報告した。回答は、他の親に常に通知されているというものから、裁判官は申立を審査し、他方からの議論を聞きたいかどうかを決定する、他方の親に決して通知されなかった、と広い幅があった。明らかに、上記のように、申立許可申立は、虐待のさらに別の手段となる可能性がある。

 

8.5.4効果のない救済策

現時点では、ある専門家の言では「不完全な救済策」のようなものとして、セクション91(14)命令が見られているようである;命令が認められるしきい値は実務ではあまりに高く、必要な証拠の量および救済策を与える裁 判官のアプローチには、いくつかの再考が必要だ。

 

この点について、すべてのグループから指摘された重要な問題の1つは、司法の継続性の欠如である。その結果、反復申立を通じて裁判所が虐待を認定することができず、そのためにセクション91(14)命令を躊躇する一方で、申立許可申立を認めがちになり、また一般的に、事件内の意思決定に一貫性がないという結果につながる。リーガルアドバイザーは、申立許可申立は元の命令を出したのと同じレベルの司法機関に指示されるが、同じ裁判官または治安判事のベンチによって審理されることはほとんどなかった。サウソールブラックシスターズはさらに、司法の継続性は良い実務であるが、聴取が数ヶ月遅れる可能性があると観察した。これは私法上の事件のための限られた司法資源の逆効果を示す。

 

セクション91(14)命令は現在理想的とは言えない形で運用されているが、専門家は、もし別の方法で実施されれば、大きな可能性を秘めていると考えている。虐待的な親に対して、裁判所が手続を虐待を永続させる道具として使おうとしていることを認識しており、それを認めていないことを示すという象徴的な側面は重要である。また虐待された親と子どもが必要としている休息を与えるという実務的な側面もある。したがって、セクション91(14)およびこの章で議論したその他の手続の側面に関する改善のためのいくつかの推奨事項に考慮を払うべきである。

 

8.6結論

この章でレビューされたエビデンスによると、女性および男性のDAの被害者は、しばしば法廷でのプロセスで二次受傷することを示す。法廷前の習熟訪問、別々の入口/出口、遮蔽、ビデオリンクなどの脆弱な証人を保護するための特別措置は理論的には利用可能だが、実際には十分に配備されていない。すべての被害者は、適切なサポートと保護がない場合、法廷で虐待者と向き合うことが難しいと感じるが、これは特に本人訴訟の場合に顕著である。被害者は、特に代理されていない虐待者によって直接行われる反対尋問の悲惨さを認識したと委員会に語った。複数の被害者が彼らの虐待者によって反復申立を経験したので、この裁判所のプロセスを複数回受けた。多くの人は、「禁止」命令の使用で裁判所がこれを阻止する権限を持っていることを知らなかった。委員会が受け取った他のエビデンスは、セクション91(14)が十分に活用されていないことを示唆しており、多くの専門家が反復申立によるさらなる虐待を防ぐアプローチを提案した。

 

エビデンスの全体的な重みは、家庭裁判所が非虐待親が安全で、保護され、耳を傾けられていると感じる場所になる必要があることを示す。これを達成するために裁判所の建物とすべての裁判所の職員は、トラウマを認識する必要がある。DAの被害者は手続に対処する感情を整え、二次受傷を回避するためのサポートが必要である。被害者が法廷で虐待者と顔を合わせなくてもよいようにするべきであり、支援者や特別措置をすぐに利用できるようにすべきである。裁判官は、さらなる虐待の手段として訴訟が利用されないようにする上でより大きな役割を果たすことができる。セクション11.7では、法廷での虐待の被害者の安全と安心を高めるための具体的な提言を行っている。これには特別措置と参加ダイレクション、反対尋問、専門家サポートサービスに、セクション91(14)および虐待的申立の特定に関する推奨事項が含まれる。セクション11.7の図は、本章の冒頭に掲載されたものを改訂し、DAの被害者の裁判の流れが改革後にどうなるかを示している。

 

【注】

(131)C Smart and B Neale, Family Fragments (1999); J Birchall and S Choudhry, What About My Right Not to be Abused? Domestic Abuse, Human Rights and the Family Courts (2018).

(132)C Bishop and V Bettinson (2018) ‘Evidencing domestic violence: Including behaviour that falls under the new offence of ‘controlling and coercive behaviour’, International Journal of Evidence and Proof 22(1): 1– 27.

(133)記憶と証拠に対するトラウマの影響の有用な説明について参照https://vimeo.com/380211656; https://vimeo.com/380211441

(134)「ガス燈」という用語は、男性が、彼女が心を失っていると思うまで妻を操作する映画「ガス燈」(1944)に由来する。

(135)文献レビューセクション8.2。

(136)ウィメンズエイド英国連盟、Nineteen Child Homicides (2016年)。

(137)N Corbett and A Summerfield, Alleged Perpetrators of Abuse as Litigants in Person in Private Family Law: The Cross-Examination of Vulnerable and Intimidated Witnesses (2017)

(138)N Corbett and A Summerfield, Alleged Perpetrators of Abuse as Litigants in Person in Private Family Law: The Cross-Examination of Vulnerable and Intimidated Witnesses (2017).

(139)M Burton (2018) ‘Specialist domestic violence courts in child arrangements proceedings: Safer courts and safer outcomes? Journal of Social Welfare and Family Law 40(4): 533–47.

(140)文献レビューセクション6.3。

(141)文献レビューセクション8.3。

(142)文献レビューセクション8.3。

(143)委員会は、JH v MF [2020] EWHC 86(Fam)におけるラッセルJの、家事の裁判官に性的犯罪に関する専用のトレーニングを受けることを求める判決、そしてこのトレーニングが現在司法大学によって実施されているという事実に留意する。

(144)B Hale (1999) ‘The view from court 45’, Child and Family Law Quarterly 11(4): 377–86.

(145)セクション91(14)「禁止命令」に関する判例法のレビューを参照。

 

 

                                                                                                                                      【藤本圭子】


 

0